初代五輪王者Ulrich Salchow
ウルリッヒ・サルコウ
1877年ストックホルムの生まれ。1897年(ボブ・フィッチモンズがジム・コーベットを14回KOしてボクシング世界ヘビー級第3代王者になり、ブラム・ストーカーが『ドラキュラ』を、エドモン・ロスタンが『シラノ・ド・ベルジュラック』を発表し、ボストンに地下鉄が開通した年)地元開催の世界選手権で初出場2位。翌98年欧州選手権に初優勝。以後の成績は
98/99 欧州優勝 世界2位
99/00 欧州優勝 世界2位(出場2名?)
1901年にまたも地元開催の世界選手権(出場2名?)で初優勝
01/02 世界優勝
02/03 世界優勝
03/04 欧州優勝 世界優勝
04/05 世界優勝
05/06 欧州優勝
06/07 欧州優勝 世界優勝
07/08 世界優勝 五輪優勝(初の五輪フィギュアは夏季大会だった)
08/09 欧州優勝 世界優勝
09/10 欧州優勝 世界優勝
10/11 世界優勝
12/13 欧州優勝
長く世界に君臨したサルコウの、これが最後の優勝だった。整理すると、欧州選手権9回優勝(歴代2位。3連覇×1、2連覇×2)、世界選手権10回優勝(歴代1位。5連覇×2)。競技の内容が変わってしまった現在、2度とこのような偉大な記録は生まれないだろう。
しかし、彼の名を今に残すのはこの記録ではない。1910年に初めて降りたジャンプの故である。
1920年五輪でカムバックしたが4位に終わる。
1924年ISU会長に就任。進取の精神に富み、それまで世界選手権とは別に独立して行われていた女子シングルとペアを世界選手権に統合し、日本のISU加盟を認めた。当時の日本は未だナショナル選手権も開催できないスケート後進国だった。そんな日本のISU加盟をこころよく認めたサルコウ会長は、日本スケート界の大恩人と言えるだろう。
1949年死去。
河久保子朗&江守榮作共著の『パニンのスケート』(昭和2年)にサルコウのプログラム解説がある。引用すると
(1)前進内曲急滑走より初め、鈎ノ手型、S字型、後進外曲螺状線型
(2)直立片足ピロエット型
(3)(エンゲルマン十字型)
(4)爪先回転運動を伴う後進外曲蹴換型応用組合せ型
(5)鈎ノ手型、S字型、前進内曲爪先ピロエット型の組合せ型
(6)後進外曲進行より初まる跳躍型附8ノ字型、他の足に移り大なる進行力を以って空中に於て全回転を行う後進内曲運動
(7)(クルティス、8ノ字型)
(8)アクセル・パウルゼン跳躍型
(9)内曲横一文字型及び眼鏡型付蛇状線型の組合せ型
(10)急滑走より初まる横一文字型螺状線型
(11)空中に於て全回転をなす横一文字型跳躍型
(12)眼鏡型ダンス型
(13)低ピロエット型
「初める」は原文のママ。( )内は本番で省略された部分。
鈎ノ手型→ロッカー
横一文字型→イーグル
蛇状線型→グレープバイン
螺状線型→解説にスパイラルとあるが、文脈から考えて現在のスパイラルではなくトレースが渦を巻く滑り方と思われる。
「エンゲルマン十字架」とはスペシャル・フィギュアの有名な図形。「空中に於て全回転を行う後進内曲運動」とはLBIから跳ぶサルコウ・ジャンプでしょうか? 「空中に於て全回転をなす横一文字型跳躍型」らしきものは師が「昔流行った技」と言って見せてくれました。アウトのイーグルから両足踏切りで跳躍、1回転してイーグルに戻るものでした。
Reported by Shark島 : mail to gshark@japan.interq.or.jp