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私は滑ることに飢えていた。
と言うのは格好のつけ過ぎで、私は技量が衰えることを恐れていました。
生まれつき運動神経が鈍い、体力も無ければ筋力も劣る人間が、成人してから始めたスケートです。幼少のころから修練を積み、骨の髄まで滲み込んだ先達に比べたらいつまでたっても付け焼刃。練習を怠ればすぐ衰えてしまいます。
「スケート場が営業していない夏場をどうすごすか」ということが広島生活の課題でした。月に1回は滑りたい。滑らなければいけない。スケート場が無いなら、有る所に行くしかない。5月20日のリージョンプラザから1ヶ月以上たった6月24日、私は隣県岡山に滑りに行きました。
浜松に居た時、夏場は毎週隣県愛知の名古屋市まで滑りに行っていました。在来線を使って2時間半。JR営業キロは99.7q乗車時間は2時間弱。隣の県まで行くといってもたいしたことではない。そのつもりで広島⇔岡山間を調べると、JR営業キロは161.3q、乗車時間だけで2時間54分、前後を加えれば4時間を超えるでしょう。これはしんどい、毎週行けたものではありません。
2006年6月24日08:30出発。予定より遅くなってしまいました。駅で弁当など買い、09:23発の快速シティライナー乗車。眠って、本を読んで、眠って、食事をして、12:05岡山着。愛媛県新居浜市に住んでいた昔、岡山は通過するだけでした。初めて下車した岡山は空が広い都会でした。20分ほどバスに乗り、岡南小学校前停留所で下車。空が広い郊外になっていました。通行人に道を尋ね、歩いていくと、「スケートリンク」の看板が見えました。
あそこか。

歩いて行くと、近くなるにつれ、仔細に見えてきます。
ずいぶん大きな建物のようです。
大きな建物ですがこれは・・・・
これは・・・・
工場? 倉庫?

これは倉庫ではないか。
岡山国際はつぶれて倉庫になったのか。そんな話は聞いていない、昨日調べた時は違ったぞ。
途方にくれて見回すと、「入口はこちら」という矢印がありました。それに従って角を曲がると、スケートリンクの入り口がありました。

こんなに風情のあるスケート場は初めてです。木製の階段を上がること4階、ペンギンの剥製がお出迎え。内装も木造です。「現存する日本最古のスケート場」と呼ばれる東神奈川より風情があります。いいですなぁ。(後に、こちらも「現存する日本最古のスケート場」と称していることを知りました)
ロッカールームの奥が貸し靴カウンターで、その脇でビデオで繰り返し靴の履き方を放映していました。これはよいアイデアかもしれないと思いましたが、見ている人は私一人でした。
中を覗くと、おお、有川梨絵さんがダンスを教えていました。壁にはトリノの高橋大輔選手をたたえるバナーがかかっています。名札を見ると、明治大学の黒田拓志さん(2004/05季引退)がまだかかっていました。
スケート場の冷たい空気を吸うと、生き返った思いでした。これまでも、1ヶ月滑らなかったことはあるから大丈夫、と自分に言い聞かせて氷に乗りました。氷はやや硬め。氷面の半分は濡れていました。微妙に傾斜しているみたい。
滑り始めは自然滑走。次に、一番馴染んだプレーンスケーティングの前進、後進。うむ、大丈夫だ。続いて、一蹴りで長く滑ってみました。普通は左右とも一蹴り30m行きます。氷が良ければ45m行きます。昔、東伏見が氷を張り替えた時、ホッケーのエンドラインからエンドラインまで、50m以上滑ったことがありました。あの時はリンク中央を過ぎても止まる気がしなくて、気持ちよかったなぁ。
しかし、今日はエッヂが安定しません。足の裏でぐらぐらしています。蹴り出す時により深く膝を曲げ、手足のポジションに気をつけてもう1回。先よりはよいけれど、どうも左がよくない。どこか傾いているらしく、脇やら腿やら引き締めないと姿勢を保てません。右は40m進みますが、左は30mに達しない。1ヶ月あいただけで、こんなに衰えるなんて。これでは広島に居る間は現状維持さえ困難かもしれないぞ。不安と苛立ちで唇を噛んでいる時に声をかけられたので、愛想の悪い応対になってしまいました。
「お上手ですね」
「え?」
「とてもお上手ですね、一蹴りですーっと長く滑って」
「ありがとうございます。褒められてこう言うのは嫌味なんですけど、久しぶりなんで調子が悪いなぁと悩んでいたところなんです」
「そうなんですか。久し振りって、病気か怪我でもされていたんですか」
私は転勤で広島に来たこと、地元がシーズンリンクなので今日は久しぶりの練習であることを説明しました。それから、リクエストに応えて「一蹴りで長く滑る」をお教えしました。
感覚をとりもどすため、ガンガン滑る。スピードを上げて滑る。やがて調子が戻ってきて、ターンして後進し、簡単なステップを踏んでみて、一安心できるレベルに戻りました。
お客さんはこの季節にしては入っていて、どこのリンクでも一年中いる人たち50名――選手たち、地元大学のフィギュア部らしいグループ、常連の愛好家と思しきかたがた――に加えて今日初めて来たらしい人たちも20名くらい居ました。製氷後、リンクの端を仕切って初心者相手の無料スケート教室が始まりました。よちよち歩いていたみなさんが積極的に教わっていたのは岡山の県民性でしょうか。教えるのは相当な御年とお見受けできるご老人。床の上より氷の上の方が軽快に動けるようなかたです。教え方は実に巧みでそつなく、ほどなく生徒全員が氷の上をしっかり歩いていました。始めからしっかり観察するべきであった。
ふと気がつくと、東京でお馴染みの先生が目を丸くして私を見ていました。挨拶をして、広島に転勤になったこと、夏場はスケート場が営業していないので岡山まで滑りに来たことを説明しました。先生の方は、京都のクラブの付添で来たそうです。リンクサイドには子供たちの母親らしき一団がいました。この土日を利用して泊まりがけで来たのでしょうか。京都から岡山まで。この子達はなんでこんなに苦労しなければならないのでしょう。
製氷後、なんとか場所を確保して8の字を描いてみて、あとは、簡単なステップを踏んでみたり、セミサークルをやったり。15時ころ上がって、団扇をもらいました。これはその後お気楽コレクションに寄贈しました。駅弁を買って、帰りも各駅停車。食べて、眠って、読書をして、眠って、帰宅は19時。疲れました。これではとても毎週は通えない、新幹線を使わない限り。来月はどうしようか?

― 了 ―
手前の子供が持っているのは“ティーチャー”とか言う補助具。これを歩行器のように使えば、初心者でも氷に立てます。(最初からきちんと習えば誰でもすぐ立てます!) |