〜出演者紹介
ジョン・カリー John Curry
1949年9月9日イギリス バーミンガム出身。ジョジョ・スターバック JoJo Starbuck
五輪フィギュアのシングルFSの史上最高得点は、105.9点(108点満点)で、カリーとリンが記録している。7歳の時TVで見たスケートのパントマイムがきっかけで滑り始めた。本当はバレエの方が好きだった。15歳で父を失い、スーパーマーケットで働きながら滑り続ける。73年世界4位を機にカルロ・ファッシに師事。ギリス・グレーフストレーム以来の正統を自負し、クラシックバレエを応用した芸術性豊かな演技は男子シングルの歴史を変えた。76年『ドン・キホーテ』で五輪優勝(英国24年ぶりの金メダル)。「女性的」という評価もあったが、ジャンプは力強く、スピンは左右両回転する巧みさがあった。ニューヨークタイムズは「動く詩」と評し、西独の新聞は「クランストンの開いた新時代の扉はカリーによって閉じられた」と報じた。このシーズンは三冠王となり、ビートルズももらったMBE勲章受賞、エリザベス女王の御前で滑った。プロに転じ、独自の美学を追求。77年の「氷上舞踏」がブロードウェイで大好評、西海岸でもロンドンでも絶賛を博す。芸術フィギュアを探求し続け、ピーター・マーチンズやトワイラ・サープ、ラー・ルドヴィッチとも仕事をし、ニジンスキーの『牧神の午後』を氷上で再現。84年のシンフォニー・オン・アイスはそんなキャリアの集大成でメトロポリタン・オペラハウスを満員札止めにした。87年HIV感染が発覚、94年4月15日逝去。
「私はスケートには多大な芸術的可能性があると信じているのです」
- 70/71 全英優勝 世界14位
- 71/72 札幌五輪11位 世界9位
- 72/73 全英優勝 全欧4位 世界4位
- 73/74 全英優勝 全欧3位 世界7位
- 74/75 全英優勝 全欧2位 世界3位
- 75/76 全英優勝 全欧優勝 インスブルック五輪優勝 世界優勝
「スケーティングは単なる競技じゃない。それは芸術なんだ。」(プログラムより)
「カリーは真の芸術家で、競技とは別の次元でスケートを知的に高尚に解釈していた。ほんとうに偉大だった」(トーラー・クランストン『Figure Skating A Celebration』より)
拙文『ありがとうJoJo Starbuck』参照。一時プロを引退したが、カリーの誘いで復帰し、77年の「氷上舞踏」から同志になる。カリーと磨いた振付のセンスはDavid Liuに受け継がれた。72札幌五輪、84国際プロフィギュア、85国際プロフィギュアで来日。
「ジョンのスケートを見た時、全く新しい世界が私の前に現れたのです。それはオリンピックよりエキサイティングな体験でした。」(プログラムより)
デヴィッド・サンティー David Santee
1957年7月22日アメリカ オーク・パーク出身。71年に全米Jrを史上最年少で制したがSrのタイトルはとれなかった。しかし国内選手権より国際大会に強く、世界選手権では全米王者を上回った。見世場はデスドロップ、男性的で豪快な演技がメアリ・スコットヴォルト振付の『ロッキー』にぴたりとはまり彼の代名詞になった。80五輪ではスタローン自らサイン入りポートレートを送って激励している。現在はイリノイ州のオークトン・アイスアリーナでスケートを教えている。77世界選手権、79NHK杯、84国際プロフィギュア、85国際プロフィギュアで来日。
- 75/76 全米2位 インスブルック五輪6位 世界5位
- 76/77 全米3位 世界4位(3位は佐野稔)
- 77/78 全米2位 世界6位
- 78/79 全米3位 世界8位
- 79/80 全米2位 レイクプラシッド五輪4位 世界4位 NHK杯3位
- 80/81 全米2位 世界2位
- 81/82 全米3位 世界8位
キャシー・フォルクス Cathy Foulkes
1956年アメリカ。ボストンでスケートとバレエを学び、ボストン・バレエ団にも出演
ティム・マーフィー Tim Murphy
1959年アメリカ。81全米プロ3位。14歳の時からカリーと行動をともにする。
パトリシア・ドッド Patricia Dodd
1948年イギリス。全英選手権4回優勝。カリー曰く「世界一のクラシカル・スケーター」。『精霊の踊り』のイーグルは彫像になりコロラド・スプリングスのフィギュアスケート博物館で展示されている。(『ワールド・フィギュアスケート』の17頁、『PATINAGE』誌94年3/4月号15頁参照)
Shelley Winters 1960年カナダ
Keith Davis 1960年カナダ
カナダプロ優勝。82国際プロツァーの4大会で2位。84年2月の国際プロフィギュアにも来日。
マーク・ホミヌーク Mark Hominuke
1958年カナダ。妹ジャネット・リーと組んでカナダJr選手権ペア優勝、82年国際プロツァーの4大会で3位。
ネイサン・バーチ Nathan Birch
1962年アメリカ。『スポーツアイ』誌91年11月号掲載の『ジュンジュンのキャンプ報告』に出てくる"ネイソン"はこのネイサンらしい。『ロングを作ってくれたのは、ネイソンっていう男の先生で、J・リンのアイス・ショーで滑っていたそうなんです。(中略)ネイソン先生は本当にエッジ使いとかそっくりで、J・リンの男版みたい』
ジム・バウザー Jim Bowser
1954年アメリカ。ローラースケートの世界選手権者。ナンシー・バージホフと組み83年国際プロツァーの2大会でアイスダンス2位。
ローリー・ニコル Lori Nichol
1963年カナダ。83カナダプロ優勝、世界プロ2位。「将来は栄養士を目指す」と紹介されているが、クワン、村主章枝の振付けで大活躍しているのは周知の通り。
エディサ・ドットソン Editha Dotson
1959年アメリカ。世界プロ優勝。
ジャネット・リン Janet Lynn Nowicki
1953年4月6日アメリカ シカゴ出身。今更説明不要。フィギュア王国アメリカで、世界2位が最高成績のリンが、ペギー・フレミングやドロシー・ハミルら五輪の女王に負けぬ評価と人気を得ていることが、その偉大さの証明。正統派のオレグ・プロトポポフも個性派のトーラー・クランストンも彼女への賛辞を惜しまない。73年プロ転向。アイス・フォリーズとの契約金1,495,000ドルは「女子スポーツ選手の収入の史上最高額」としてギネスブックに載った。健康を害し75年引退。家族の励ましとスケーター仲間の歓迎を受けて81年復帰。ジャンプ無しでも大観衆を魅了する美しさは「芸術を超えて宗教的」とまで評された。しかし、そういう世界よりも平凡な家庭の主婦を選択した生き方もリンの魅力。
- 67/68 全米3位 グルノーブル五輪9位(FS6位、米五輪選手団史上最年少選手)
- 68/69 全米優勝 世界5位
- 69/70 全米優勝 世界6位
- 70/71 全米優勝 世界4位
- 71/72 全米優勝 札幌五輪3位 世界3位
- 72/73 全米優勝 世界2位
「フォギュアを根底からくつがえしたジョンの振り付けで滑れるのは、スケーターにとって最高の喜びです。」(プログラムより)
「カリーのめざすものは、私自身の表現したい創造性豊かで芸術的なスケーティングと同じ方向のものです」(『ママになった妖精』より)
ドロシー・ハミル Dorothy Hamill
1956年6月24日アメリカ シカゴ出身。スケートの才のみならず容姿に恵まれ、そのスピンは「女子で世界一早い」と言われ、そのスパイラルは「世界一美しい」と言われた。髪型まで「ハミル・カット」の名で有名になった(この髪型は須賀勇介なる日本人の手による)。間違い無く女子シングル選手の一つの頂点であり、「3回転を跳ばない最後の女王」という評価は賛辞と受け取るべきだろう。8歳からスケートを始め、67年からソニア・ダンフィールドに師事して69年全米ノービス優勝。70年に全米Jr2位になったのを機にカルロ・ファッシに招かれる。五輪で芸術点5.9を並べて優勝し、プロ転向。容色衰えず、今も花形として滑りつづけている。71プレ五輪、73国際EX大会に来日。
- 71/72 全米4位 世界7位
- 72/73 全米2位 世界4位
- 73/74 全米優勝 世界2位
- 74/75 全米優勝 世界2位
- 75/76 全米優勝 インスブルック五輪優勝 世界優勝
キャサリン・ヒーリー Katherin Healy
1969年1月26日アメリカ ニューヨーク出身。82年に映画『オータム・ストーリー』で人気爆発。同年のヴァルナ国際バレエ大会で史上最年少の優勝者となる。スケートの才もあり、カリーのチームには2年前から参加していた。急病で出場できなかったことが残念。
ピーター・マーチンズ Peter Martins
1946年デンマーク。デンマークロイヤルバレエ団のプリンシパルとなった後アメリカの最高峰の一つニューヨークシティバレエ団(NYCB)へ移籍。当時の監督バランシンは当初は彼を酷評していたが、そのスタイルを吸収してNYCBのトップにのぼりつめる。バランシン亡き後、83年ジェローム・ロビンスとともにNYCBの主任バレエマスターとなる。その後はダンサーとしての才能を惜しまれつつバレエマスターに専念するために現役引退。数多くの作品を発表。そのいくつかはNYCBの主要レパートリーになっている。
ジャン-ピエール・ボンフー Jean-Pierre Bonnefous
1944年フランス。パリオペラ座のエトワールを務め、ローラン・プティの『ノートルダム』の初演などに出演。ニューヨークシティバレエに移籍しプリンシパルダンサーとして活躍。その後バレエ教師としてアメリカで活躍している。
ローラ・ディーン Laura Dean
1945年ニュヨーク。モダンダンスの振付家兼作曲家。70年代後半に盛んになったダンスにおけるミニマリズム推進者の1人で自らのダンスに音をつける作曲家でもある。歩く,走る,スキップするなどのシンプルな動きを繰りかえし組み合わせて行う手法で特にスピンを多用する。76年にローラ・ディーン・ダンサーズ・アンド・ミュージシャンズを結成しほとんどの踊りに自ら曲を書くようになり意欲的に発表する。
指揮者
チャールス・バーカー Charles Barker
1953年アメリカ。アメリカ室内交響楽団を率い83年2月カーネギーホールでデビュウ。ニューヨーク・タイムズは「彼の音楽は知性にあふれ、理解しやすい。熱いリリシズムに満ちている」と評した。
※日本公演のゲスト出演として渡部絵美と松村充が参加
※ 生年・出身地は「シンフォニー・オン・アイス」のプログラムにより、他の資料とは異なるものがあります。
※プログラム以外の参考文献
Reported by Shark島 : mail to gshark@japan.interq.or.jp